依存症の人は、子供の頃から「いい子」を演じてきた人が少なくありません。なぜ「いい子」を演じなければならないのか、その理由としては、自分自身が依存と支配の両面のはざまで、生きざるを得ない生育環境の要素が大きく、その環境で生きていく一つの手立てが「いい子」を演じるということであったわけです。

こうした過剰適応のパターンは、あたかも他人を接待するような心のチャンネルで生きるということです。

このような心の「接待チャンネル」で生きるということは、自分に対する周囲の隠れた期待や願望を「きっとこうだろう」といち早く読み取り、自分をそこに合わせて対応していくことです。なぜそのようにするのかと言えば、自分の本音を出せば、周囲に見捨てられてしまうという思い込みがあるためです。そのために見捨てられないように「建前」で生きるということをしています。

依存症者の心の接待チャンネル

このような「接待チャンネル」で生きることは苦しくなってきて当然ですが、本人にとってはごく自然なことになっています。自分自身の本音に無意識でストップをかける出来事があって、自分の本音というものがわからなくなっています。

しかし、本音がわからなくなっているのが当然の状態になっていたとしても、建前を押しのけて本音が底から出てきて、ぶつかりそうになる事態や出来事が起きると、刷り込まれた価値観によって自動的に本音が抑えてしまうのです。

その時に湧き上がる感情を麻痺させてくれたり、行き場のない感情に対処するためにアルコールや薬物に手を出したり、手首を切ったりという行動に出ることになります。そこが依存症が再発を繰り返す大きな背景の一つであると思います。

しかし、このからくりがわかると「接待チャンネル」に入ることは、自分自身にも嘘をついていることだと本人が自覚的にわかるようになります。

依存症から回復するには

回復とは何か?

快復や治癒は「病気やけがが治ること」ですが、回復とは「一度失ったものを取り戻すこと」や「元のとおりになること」です。では依存症者にとって、回復すること、取り戻すべき一度失ったものとは何でしょうか?それは喪失する病いゆえに失ってしまった身体の健康をはじめとして、家族、友人、仕事、自尊心、生きがい、主体性、自由、選択できること、社会参加などが挙げられます。

医学モデルの観点から見ると回復は、「心身の健康を取り戻す」ことですが、依存症が心理・社会的側面やスピリチュアルな側面をも包括した病いであるとすれば、依存症からの回復とは心身の健康というよりは、「質の高い生活や人生(QOL)」の向上であり再獲得といえます。

依存症者が「質の高い生活や人生」(QOLの向上)を計り、再獲得をするには、新しい価値観を創造し、ストレスや刺激に対する新しい反応の仕方を身につけることが依存症からの回復につながります。

また、回復が依存症によって埋もれてしまったアイデンティティ(自己)を再獲得するプロセスであるなら、回復は終点ではなくプロセスであるという考え方になります。そのプロセスの過程で「断酒・断薬」など、物質を全面的に断つことは最優先すべき回復の条件となります。

回復のための具体的な方法

人が何かにハマっていく背景には三つの要素があります。

①感情を慢性的に抑圧せざるを得ないような生きづらさ
②他者への信頼感の喪失
③独りで感情に対処するための依存行動パターンの習慣化

つまり何らかの理由で自らの苦しい感情を周囲に表出できない日々が続き、その中で人に対する信頼を失っていきます。そうなると一人で苦しさに対処していくために、即効性のある依存対象にはまっていくのです。これを裏返せば依存症の心理を改善するヒントになります。

感情を慢性的に抑圧せざるを得ないような生きづらさを解消するためには、まず自分が感情を慢性的に抑圧しているということを、自覚的に発見することが必要です。それには自らの本音ともいえる感情に自分自身が気づくことです。

次にその本音とも言える感情を分かち合えること、分かち合っても大丈夫という体験が、ありのままの自分で居ていいんだという安心感につながります。安心感が出てくるということが、喪失した他者への信頼感を取り戻すことになっています。

最後にカウンセラーや自助グループの中だけでなく、一般的な人間関係の中で、その安心感を持って他者への信頼関係を構築するためには、他者と感情をシェアする、具体的なコミュニケーションスキルを身につける必要があります。

依存症の心理を改善するには

①自らの本音ともいえる感情に気づく
②その感情を分かち合える他者との信頼関係を構築する
③他者と感情をシェアする具体的なコミュニケーションスキルを身につける

 

対人依存の心理

縦しかない人間関係

家族の中でも接待チャンネルで生きることを余儀なくされてきたために、対等な人間関係で支えあうということができず、依存症の人の人間関係は縦の上下関係でつながります。自分よりも上位にあると認識すれば、相手に「貸し」をつくることによって見返りを求め、相手にしがみつきたいと思います(利他的従属)。

例としては夫に喜んでもらうために逆らわない従順な妻を演じることなどがあります。また、自分よりも下位にあると思う相手には、世話をして評価されることで、相手をコントロールしたいと思います。例としては子供の世話をやくことで、良き母を演じて評価されることです。

その根本にある心理は、困難な現実を引き受けて生きることができないので、依存して安心を得たいというものです。しかし子供の頃のように依存できることも叶わないために、相手の上位について支配したり、下位についてしがみ付こうとすることで依存心を満たしているのです。

対等な関係は、過剰なエネルギーが必要となり疲れる

このように依存の心理的な傾向は、他者との対等な関係を築くことが苦手で、対人関係においてストレスを抱えやすく、対等な対人関係を構築することにおいて過剰なエネルギーを要します。他者からすると何でもないような人との関わり、挨拶ひとつや、なにげない会話にしても多くの緊張とエネルギーを消費するために、とても疲れやすい傾向にあります。

そのような生きづらさが根底にあるために、無意識のうちに対人関係を回避しようとして依存=嗜癖(アディクション)にはまっていきます。まず「生きていたくない」という生の放棄があり、次に快感に逃避していきます。これは自立心とは反対の状態を意味しています。

自立心があると過剰なエネルギーを費やさなくてよい

自立心とは、自分のことを自分で決めて、可能な限り主体的に行動して、できる範囲でその結果に対して自分で責任を取るという心の姿勢です。自分に対して主体的に生きようとする自立心があり、自分の言動に責任を取ろうとする人ほど、他者の意思と行動を尊重できるので、他者に対して依存したり支配する必要がない対等な関係をもつことができます。つまり、他者との関わり、関係において過剰なエネルギーを費やす必要がないのです。

ここで、自立心の欠如している人が全員、対人関係において、ストレスを感じて依存症になるのかというとそうではなく、もうひとつ追加される要素があります。それは自分自身が、自立していないことに自責感を抱いていることです。依存症の人も基本的には、自立心をもって生きることが、本来の生き方であることを学んできているために、そうではない自分自身の現状に苦しく感じています。

かといって依存をしながらでも生き永らえてきた自分という自己像があるために、そこを否定することは、自分自身が無くなってしまうに等しいことになり、手放すことができません。現状の自分というものを肯定することはできないが、否定することもできない状態です。

共依存症の心理

まず、共依存には、「アルコール依存症やDV(ドメスティックバイオレンス)の夫に苦しみながらも懸命に尽くす妻」のパターンがあります。彼女らはイネーブラーと呼ばれ、夫の依存症に加担をしている、共犯者であるという意味があります。彼女らは「世話を焼くことで安心できる」「自分の存在価値を相手の世話をすることで実感する」ことで、虚しさを紛らわすことをしています。

そして、世話を焼いたり尽くしてもらいたいアルコール依存症の夫は、自分自身に無力を感じながらも、迷惑をかけたり、時には暴力を振るってでも妻に献身を求めます。

一方、妻の方は夫の世話をすることで自分の存在価値を実感することができるので、夫のから迷惑をかけられたり、暴力を振るわれ、わがままを言われても「自分自身の尽くし方が足りない」とか「私だけが救える」と思い詰めて相手から離れることができません。

「教育ママとその子供」のパターンでは、子供をコントロールすることで「寂しさ」を紛らわし、「虚しさ」の穴埋めをします。また、共依存症者は、相手の利用することで、他人から良い人という評価が得られると、自己肯定感が高まるということが’あります。

自分の世話によって子供の評価が上がると、自分が評価されたような気になり、自己肯定感が増して、「私がいなければこの子は何もできない」と思うことで、自分の存在価値を見出すのです。子供の世話をすることで、自分の存在価値を見出すことができると安心感が生まれます。「あなたのため」と言いながら実は自分が安心したいために世話をしていますし、子供に頼られているかぎり安心を保つことができます。

その関係性の中で子供は、自立したら見放されると思い、主体的に生きることを拒むようになります。(依存性人格障害)子供は次第に無力感を感じてひきこもりになり、思春期には家庭内暴力を振るうことがあります。

依存性人格障害とは

頼りたい気持ちを自分でコントロールできずに相手の都合や迷惑も顧みず、頼ってゆく、すがりついていくのが依存性人格障害と言われるものです。何もできない赤ん坊のように成人してからも周りの人に頼らなければ生きていけず、自分が何をしたいのかわからず、自分で何かを決定したこともない。このように常に援助者がいて頼り、他の人の意見を聞いてきた結果、あなた任せの人生を送るようになります。

依存性人格障害の特徴
  • 自分の日常的なことにも、他人からの多くの助言と保証が欲しい。
  • 愛されず支えを失うことが怖いから他人の意見にノーと言えない。
  • 自分の考えや判断で計画を立てたり実行することができない。
  • 身の回りのことも自分では全くできないと思い込んでいる。
  • 愛され支えられたい為に、相手のために嫌なことまで進んでする。
  • 他人の世話になれない時には、非現実的ともいえる恐怖心を抱く。
  • 自分で責任を取らないといけないような場面では逃げてしまう。
  • 自分を守ってくれそうな人を常に探している。

共依存症の行動

共依存症の行動の特徴は「世話をやく」ということです。他の世話をやくことで自分の人生や生活がないという空虚な心を満たし、世話をやくことで劣等感を覆い隠し、他人との結び付きを見出します。他人から必要とされて愛されるために、人の世話をします。

また無責任や怠慢の嗜癖を助長するような手助けや「尻ぬぐい」などもあります。それを繰り返していると相手は「あなたが私の為になんでもやってくれるのに、なぜ私が自分の責任を負わなければならないの?」という態度になります。その「尻ぬぐい」をすることで、相手から「自分で自分の責任を取る」という機会を奪い、相手は責任を取ることを学ばなくなってしまいます。

共依存症者自身は、世話を焼いたり、尻ぬぐいをしながら「やりたくないことをやらされている」とか「相手がやるべきことを自分がやっている」と言って腹を立てて不満を漏らします。そして、自分のことを脇においてまで相手に尽くしたあげくに、相手からは「何もできないと子供扱いされた」と怒号が飛び、暴力を振るわれてしまうのです。その時に「自分は利用された」「ないがしろにされている」と感じるのです。

共依存症の行動の特徴
  • 好かれたい、人に必要とされるために尽くす。
  • 相手が自分でできることを、相手の代わりにやってしまう。
  • 手助けしてほしいと言われたわけでもないのに、相手の欲求に応える。
  • 相手が望んでいないのに、強引に手を貸す。
  • 他人の気持ちや問題には配慮するが、自分の気持ちや問題は放置する。
  • 自分に責任がなく、やりたくないことをしてしまう。
  • 他人の問題に巻き込まれてしまう。
  • 相手に自分の言葉で語らせないで、相手の代弁をしてしまう。
  • 自分の権利を侵されることからは自分を守らないが、相手はかばってしまう。
  • 自分の価値に見合った報酬を受け取らない。

 

共依存症が生まれる心理的背景

共依存症者が生まれる心理的背景には、自分のために生きるエネルギーを投じるよりも他者のために投じる方が意義があるという価値観と、他者の人生の中に入り他者をコントロールした方が心地良い、安定できるという心性があります。共依存的な生き方を無意識に選択する人の多くは、自己評価が低く、もろい自尊心によって生きています。

なぜそのような自己評価が低く、もろい自尊心を持つに至ったのかといえば、共依存になる人の多くがアルコール依存症の親がいる家族であったり、機能不全家族(代表は抑圧的家族)に育っているので、その中において、過去、周囲から受けた否定的なフィードバックによってつくられた自己像と、それによる抑うつの存在や不全感があります。それが、自己評価が低く、もろい自尊心を持つ原因ですが、幼少期からすでに人間関係において、共依存の特徴を示しています。

機能不全家族に属する成育過程において、親が早すぎる自立を期待したり強いることにがあると、子供自らがそのような場の空気や親からの非言語メッセージを察知して、それに応えるように振る舞うことを重ねるうちに「そのままでいることはできない」「自分はそのままではいけない」という自分の無意識への刻印につながります。

また、原家族におけるコミュニケーションが、力関係が常に意識されるような、支配やコントロールという形のコミュニケーションであると、対等で互いを尊重しあうような関係性ではなく、力の強弱や上下というものさしで評価される関係性を基いとしたコミュニケーションをするようになります。そして、それが今度は自分の子供に向かった場合に子供自身の依存的な特徴を生み出します。

共依存からの回復

共依存症から回復するために有効なことは、パラダイム・シフトを起こすということです。パラダイム・シフトとは、自分自身や世界の認識方法を変えることですが、共依存症者にとって、「他人を愛する」ということに関するパラダイム・シフトが起こることは大切になってきます。

飛行機に乗ると、緊急事態が起きた場合に、「(他の人を世話する前に)まず自分の酸素マスクを装着してください。」という指示のアナウンスが入るのと同じように、まず自分自身の世話をすることの大切さを知ることが重要です。自分の世話をすることは、利己的な行為ではなく、より上手に他人を愛することができるようになり、自分と他人を共に愛し、支えあうようになるために必要な態度であるということです。

支え合いというのは、時と場合によって世話をする側とされる側が入れ替わりますが、共依存関係になると、世話をする側、される側が固定されます。依存症者も共依存症者もそれぞれが自分の人生に責任を持てるようになった時に、初めて自立した人間関係になり、支え合いが可能になります。そのような健康的な人間関係を相互依存と呼びます。相互依存ができるようになることが共依存からの回復になります。

(このサイトの宗教依存症に関する理論はRCラボオリジナルで、文章は著作権法で保護されており、無断転載・流用等を禁じます)