人の成長の過程として「依存」から「私的充実」を経て、「公的充実」に至る道のりを指しています。幸せというと中央にある「私的充実」の幸せを幸せとして追い求めているのが一般的です。そして、その過程を経た人の中で「公的充実」まで至って生きる人、つまり「天命を悟って使命に生きる」ことができる人がまれに現れます。下の図(図2ー1)をご覧ください。これは人の成長の過程を表した図解です。

(図2-1)

上の図に示されているように、「依存」「私的充実」「公的充実」の三つの状態のそれぞれの段階において、何を幸せを感じる要件とするのか、またどういう存在になるのかが違ってきます。

何を幸せに感じるか、どういう存在か

まず何を幸せに感じる要件とするのかにおいては、「依存」の状態では、「黙っていても与えられる」をはじめとして「黙っていても承認される」「黙っていても理解される」「黙っていても育てられる」「黙っていても庇護される」の5つの要件が満たされたときに幸せを感じます。次の「私的充実」の段階では「人生を自分の力で創造できる」ことに幸せを感じます。最後の「公的充実」の段階では「相互依存して自他共に生かされる」ことに幸せを感じるようになります。

次にそれぞれの段階は、一言で言えばどういう存在であるのかを示している言葉がありますので、それを比較してみましょう。

「依存」は「無力な赤子」の存在

私たちは左端に記載された「無力な赤子」として生まれるところから人生が始まります。赤ん坊として生まれた私たちは母親の乳房から栄養を与えられ、排泄や衣類などの世話を受けて生命の維持をすることができます。完全に母親の庇護のもとに依存して成長するほかになかったのです。「依存心」とは無力な赤子にとっては当然としてある心です。かつての乳飲み子のように「黙っていても与えられる」「黙っていても承認される」「黙っていても理解される」「黙っていても育てられる」「黙っていても庇護される」という与えられる幸せをのみ求める生き方は、与える側の主導によって、自分自身の幸せが左右されます。

そして、それだけでは収まりません。愛情を注いで育て上げる母親は、乳飲み子にとって世界そのものですが、成長するに従って幼稚園・小学校・中学校と自我が目覚めていく同級生や考えや習慣が違う大人たちがいる世界に投げ込まれていくと、世界は「黙っていても与えられる」「黙っていても理解される」ものではないという現実に徐々に出会っていくことになります。

それを「自立への壁」として成長のステップとすることになりますが、感情的な側面では葛藤や軋轢を起こし、怒り・恨み・妬み・ひがみ・傲慢・欺瞞・愚痴などで物事や出来事に対して、感情的ストーリーを含んだレッテル貼りを重ねていくことになります。これが自分や周囲に対するものの見方に対する偏りを作っていくことにもなります。依存の状態にとどまるならば不調和を生み出す原因にもなり、苦しみや障害の多い人生になります。

「私的充実」は「目的を持って主体的に生きる」存在

次の段階である「私的充実」とは無力な赤子が求める「与えられる幸せ」から「できる幸せ」を感じる状態へと移行していくことです。「依存」の赤子のような無力な存在から、肉体の発達とともに自分自身でできることが少しずつ増えていくことに喜びを感じるようになります。やがて親離れして自分で生きていくために「自立への壁」を越えて行かなければなりません。

「自立への壁」には「自立心の萌芽」があり、続いて「自他の境界の形成」「自己の責任の自覚」「アアイデンティティーの確立」「目的・目標を持つ」「自発的な努力継続」が必要となります。ちょうど1つの細胞が細胞としての働きを成すために、内と外を分ける境界としての細胞膜を形成しながらも、同時に個としての細胞を保ちながら全体に貢献するために内外の交流を持つことと似ています。

母子一体となった「依存」の状態からこのプロセスを踏まないと自立することができなくなります。共依存と呼ばれる状態は細胞でいえば細胞膜がきちんと形成されないで相手と癒着してしまっている状態、相手から離れることができない状態です。

この「依存」幼年期だけのことではなく、年齢には関係ありません。「依存」の状態から「私的充実」へ向かうプロセスも同様に年齢が成人になっていようが中年期にあろうが関係なく、その時が「依存」の心理状態であれば「依存」の段階であるといえます。そして次に向かうには「私的充実」の段階ということになります。

「依存」の状態であるならば、次に「自立の壁」を突破していくことが必要です。そして、本当の「私的充実」のステージに立つには「ものの見方の点検」「思い込みの点検」「パラダイムの転換」「インサイドアウトの実践」が必要となります。

「公的充実」は「天命を悟って使命に生きる」存在

「私的充実」から「公的充実」へ向かうにつれて、「私的充実」を迎えた「個」が、より社会・世界に対して貢献する質と量が高く多くなっていきます。全体の中で自分自身が果たす役割と使命を自覚することができ、真の歓びと共に具体的な働きも成していけるステージだといえます。

仏教における「悟り」「大悟」は自分という個の生命が、宇宙に遍満する無限の生命とつながり、その大生命と一体であり、個にして全であり全なるものが個に内在されていることを自覚する体験ですが、ではそのような自覚を得た人が具体的にどのような生き方をするのかというステージです。「悟り」を得た人は全て瞑想に日常を費やし、皆がスピリチュアルな人になり、宗教家になるようなイメージがありますが、そうではありません。

また全体に貢献するというと、ともすると自己犠牲のイメージが付きまといます。しかし、ここでいう全体に貢献するということは、悟りの自覚である<個=全>であり、全体を生かすことは個を生かすことであり、個を生かすことは全体を生かすこと、歓びや未熟などに関しても同様な自覚があることです。そして、具体的な次元で自分という個が、全体に貢献し生かすとは具体的に何をしていくことなのかを自覚しているのが「天命を悟って使命に生きる」存在です。

花に例えるならば、薔薇の花が自らを薔薇であると自覚し、自らが薔薇であることが歓びであり、自らが薔薇として働く(開花する)ことが使命であり、全体に癒しをもたらし貢献していくことであることを深く知っているということです。この薔薇の例えのように、「公的充実」に至るには、自分自身が何者であるのか、何を働きとすることが使命であるのかを、深く知ってゆく道のりを歩むことになります。

「公的充実」へ至るためには、そこへ至るための壁を突破し、「貢献の法則(分かち合い)」「均衡の法則(愛と感謝)」「統合の法則(ミッション)」「祈りの法則(真の托身)」の門をくぐることが必要となってきます。

Point! 段階別どういう存在か?
①「依存」は、「無力な赤子」の存在
②「私的充実」は、「目的を持って主体的に生きる」存在
③「公的充実」は、「天命を悟って使命に生きる」存在

 

次の段階に進むにはどうすれば良いか?

壁を突破し、門をくぐる

まず依存の状態であった「無力な赤子の存在」が、自立した「私的充実」という幸せの状態に至るには、まず依存心を克服する「自立への壁」を突破して、「私的充実への門」を潜らなければなりません。

壁というのは「試練」を意味しています。現実と向き合い、現実に取り組んでいくことを通して育まれ、たどり着かなければならない体験的理解というものです。

次に門というのは「気づき」というものにあたります。「私的充実」に見合う「気づき」「悟り」があって誘われる境地という性質のものです。

同じように「私的充実」から「公的充実」へと向かう道のりにも、壁という「試練」を突破し、さらに「気づき」「悟り」という門をくぐった後に「公的充実」のステージに立つことができるのです。

Point 壁とは?門とは?
①「壁」とは現実に向かい合って取り組まなければならない「試練」
②「門」とは次のステージ立つ為に必要とする「気づき」や「悟り」
※「壁」を突破し「門」を潜ることによって次なるステージに立つ

内的エネルギーの質的変化

そうした人生の過程を経る中で、本人の中で起こる内的エネルギーの変化があります。

まず、「依存」において、黙っていても与えられることを望む「依存心」は「自立への壁」を突破する過程において縮小し、「自利心」へと質的に変化していきます。次に「私的充実」においては「貢献の壁」を突破することによって、その「自利心」は「利他心」へと質的な変化をしていきます。

次に人生を自分の手で切り開こうとする「自律の意志」は「依存心」と反比例して育まれ強くなっていきますが、その「自律の意志」は、「私的充実」の段階から「貢献の壁」を突破するに従い、そのエネルギーのベクトルを維持したままま「托身の境涯」へと質的変化をしていきます。

Point エネルギーの質的変化
① 依存心 ⇒ 自利心 ⇒ 利他心
② 自律の意志 ⇒ 托身の境涯

3段階の成長を阻む宗教依存

ところが、そのような人生の成熟に至る道筋の中にあって、途中の「私的充実」の幸せすら叶わないで、苦しみのなかに彷徨うことが多いのが現実です。

そうした中で、成長に逆行して「依存心」が拡大し、「偽りの托心」というものを生み出し、「私的充実」を犠牲にして宗教依存症となってしまうことは、人生の三段階を進むための大きな障壁となります。3段階の最終段階である「公的充実」は本来宗教が求めていた本当の「托身の境涯」に等しいものですが、宗教依存症を生み出す「偽りの托心」が、人生の段階を進めるための障壁となってしまい、自分自身が本当に求めていたものを見失うからです。まずこの「偽りの托心」を除去して、自分本来のエネルギーである「自律の意志」を成長させ、最終的にはその「自律の意志」の底に眠る「真の個性・目的」が顕わになってくることが必要となります。

RCラボでは、それぞれのステージでの実践のために役立つ理論とワークを提供しています。

Point 何を拡大し何を阻むか?
① 宗教依存症は「依存心」を拡大し「偽りの托身」に迷い「私的充実」を犠牲にする

② 宗教依存症は「自律の意志」の底に眠る「真の個性・目的」の湧出を阻む

 

(このサイトの宗教依存症に関する理論はRCラボオリジナルです。文章は著作権法で保護されており、無断転載・流用等を禁じます)

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