依存症というと医師でも治らない病いなのではないかと思うのですが、そこからの脱却することはあるということです。

大脳生理学的な知識は依存症を理解するうえで大切なのですが、臨床医として日々依存症の方と接しているとそれだけでは説明のつかないことがあります。こてこての依存症の場合でも、ある日を境にアルコールや薬物が止まるということがあります。誰かに言われた一言がきっかけでとか、偶然、本や映画を見てハッとしてとか、そういう一見些細なことが作用して、そこから依存行為がピタッと止まってしまうケースがあるのです。

アルコールや薬物に限らず、ギャンブル、食べ物などほかの依存症的行為にも共通して言えることですが、その泊まり方、スリップの仕方を見ていると、この問題には脳のメカニズム以外にも何かしら心理的なものが作用しているというのが臨床医としての実感です。

(神奈川県立精神医療センター依存症診療科長の小林桜児さんのインタビュー記事より抜粋要約)

依存症はカルト教団に洗脳された状態

アルコールや薬物という教祖様がいて「私を信じれば救われる。信じろ」と言われ、体験修行をしたら落ち着くし、幸せな気分になれるし、自分が生まれ変わるような体験をしたし、本当に救われた。

そうして心酔していくうちに、だんだんと他のことはどうでも良くなっていきます。趣味もやめてしまい、友達とも合わなくなり、教祖様のところに入り浸るようになる。そうして外部との関係が断たれ、教祖様以外のものが目に入らなくなり、信じられるのは教祖様だけになる。そうなるともう言いなりで、教祖様のためには何でもするようになります。ときには犯罪だって侵してしまうでしょう。ところが色々と不都合がでてきて、苦しい思いもするようになる。「もしかしたら、救ってくれるなんて嘘だったのではないか」と思ってしまう。でも最初の頃のあの修行の成功体験が忘れられなくて、一旦は離れたとしても苦しくなるとまた教祖様の元に戻ってしまうです。

 

洗脳から解き放たれるにはー依存症からの回復

洗脳から解き放たれるには、まず教祖さま以外のものも信じられるのだと気づく必要があります。

人が何かにハマっていくにはその背景に三つの要素があります。

①感情を慢性的に抑圧せざるを得ないような生きづらさの存在

②他者への信頼感の喪失

③単独で感情に対処する行動パターンの習慣化

つまり何らかの理由で自らの苦しい感情を周囲に表出できない日々が続き、その中で人に対する信頼を失っていく。そうなると一人で苦しさに対処していくため、即効性のある何かにはまっていくのです。これを裏返せば洗脳を解くヒントになります。

①自らの感情への気づき

②その感情を他者と分かち合えるだけの他者との信頼関係の存在

③具体的に他者と感情をシェアするコミュニケーションスキル

 

依存症的行動に結びつく行動パターン

依存症の人は、子供のころから「いい子」を演じてきた人が少なくないのです。こうした過剰適応のパターンを私は「接待モード」とと呼んでいます。

<接待モードとは?>

その人に対する周囲の隠れた希望や願望を「きっとこうだろう」と読み取り、自分をそれに合わせること。これは自分の本音を隠し、周囲に見捨てられないように「建前」で生きるということ。

この「接待モード」が苦しくなることが、依存が再発を繰り返す大きな背景の一つではないでしょうか。

アルコールでも薬物でも仲間と楽しく使っている時期を通り過ぎて一人でやるようになったとき、依存のステージが上って習慣化すがエスカレートしていきます。

自分の本音に気づくことが大事

自分自身の本音に無意識でストップをかける出来事があってから、行き場のない感情に対処するために薬物に手を出したり、手首を切ったりという行動に出ることになります。

建前と本音がぶつかると刷り込まれた価値観によって自動的に本音が抑えられてしまう。そして湧き上がる感情を麻痺させてくれるのが食べ物や薬物やアルコールです。このからくりがわかると「接待モード」に入ることによって、自分自身にも嘘をついていたことがわかります。

必要なのは信頼関係

必要なのは人、仲間、支援者です。

支援者の役割は、依存症的行為を手放す不安を取り除き、少し楽になってもらい、そもそもなぜそれが必要だったのか、何の役に立っていたのかを一緒に考えていく。本音が出て来た時に洗脳が溶け始めます。どんな建前が本音を抑えてきたのか、依存症的行為によってどんな感情を麻痺させていたのか、それに気づいたときに、回復の新たな一歩を踏み出すのです。自分の中にある怒りや虚しさや悲しみから解放されたときに依存症的行為はなくなっているのです。

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