「健全な宗教性」とはどのようなものなのでしょうか?そのことについて解説していきます。

人間がもともと抱く宗教性

まず、私たちの心の中には、人間が本来抱いている自然や天地一切の万物に対する畏敬や生命を尊く想う心など、科学の発達や技術の進歩、効率優先の社会システムの中で見失ってしまった存在に対する素朴な感覚があります。それは知識として学んだものではなく、自然と触れ合い、自然の中にあって、自然と共に生きてきた、私たちの遠い先祖が抱いた自然に対する畏敬や生命の尊さを感じる感性です。

自然の移り変わりや自然の在り様を私たちの祖先は、人間としての在り方や人生の生き方の手本になぞらえて、そこから学んで、生きる指針としてきたのです。その心の遺伝子は世代が移り代わったとしても、世代を超えて、連綿と私たちの心の奥底に受け継がれているものです。

しかし、最も素朴で当然であるはずのその感性は、私たちの生まれ育ちの中で受けた教育や思想、または現実的な人間同士の軋轢や闘争、高度で複雑化した社会システムによるストレスなどによって、心の片隅に追いやられて顧みられず、気づくこともできなくなっているような状態です。

健全な宗教性とは、それらの感性を呼び覚まして、それらの自然に対する畏敬や、生命の存在に対する素朴な感動を基いとした人間性の開花を喚起し、人間が生きる上での心や在り方や生き方、人間同士の友愛や、調和された社会の創造を促すものが健全な宗教性であると言えるでしょう。

他方で健全な宗教性とは言えないものは、この真逆を志向しているものだと言えます。不自然で偏った思想や教義を信じ込んで、心や精神性が混乱と不充足感、偏った思考に満たされてしまい、マインドコントロールされてしまうもの。それらは不信と不調和な人生の現実を生み出してしまう基いとなってしまうものです。

それを踏まえた上で、このサイトのテーマは「宗教依存症からの解放」ですので、宗教依存症と不健全な宗教性の関わりについても論じています。

また逆に宗教と関わっていても宗教依存症にならずに、社会生活、家庭生活が円満に円滑におくることができている、むしろそのことによって精神的な安定と社会生活・家庭生活が調和的に促進されているなどの好影響があるならば「健全な宗教性」があると考えられます。

その点で宗教では心の持ち方やコミュニケーションの取り方、社会生活の過ごし方などについても善性を基いとした教えが説かれているところが多いので、依存症にならずに自分自身の7つの領域全般にプラスになるような影響があれば、それは健全な宗教性になっている、またはなる可能性があるといえます。もちろんこれは善性を基いとした教えが説かれていることが前提になります。

家庭生活を営み、社会生活をおくりながら信仰をすることを前提にして論じていますので、当然信仰や宗教活動のために社会生活、家庭生活に支障をきたすようになるのでは、健全な宗教性とは言えないことになります。

 


健全な宗教性となるには?

依存症の心理的要素と、宗教教団の依存心を生むシステム
的要素が
交わらないところに「健全な宗教性」ができる

(リリースカウンセリングラボラトリー)

 

先の<「依存症の心理的要素」が少なくても>の解説にありましたように、本人の中に「依存症の心理的要素が少ない」場合でも宗教教団側に「宗教依存を生み出すシステム的な要素」が多い場合には、宗教依存症になる可能性があります。

しかし同様に本人の中に「依存症の心理的要素が少ない」ケースで、宗教教団側にも「宗教依存を生み出すシステム的な要素」が少ない場合には、教団と適度な距離を保つことができれば、本人の中には健全な宗教性にとどめることができる可能性が高くなります。(図1-8)

(図1-8)

ではここで、人生の7つの領域とは何か。またその7つの領域全般にプラスになるとはどういうことかについては、「7つの領域と宗教依存症」のページにおいて解説していますのでご覧ください。

「7つの領域と宗教依存症」のページにおいては、「人生を構築する自律の意志」と「依存心(偽りの托身)」の説明が出てきます。ここでいう「依存心(偽りの托身)」とは、上図にある「依存症の心理的要素」の一つであると言えます。私たちの心には「依存心(偽りの托身)」と「人生を構築する自律の意志」の両方が存在しています。宗教団体の「宗教依存を生み出すシステム的な要素」に刺激されると、このうちの「依存心(偽りの托身)」の部分が肥大していき、次第に主導権が奪われ、7つの領域全てに悪影響が及び宗教依存症になっていきます。

逆に本人の中に「依存症の心理的要素」の「依存心(偽りの托身)」が少なく、「人生を構築する自律の意志」がしっかりとある場合で、宗教教団側にも「宗教依存を生み出すシステム的な要素」が少ない場合には、宗教教団と適度な距離を保つことができれば、健全な宗教性として本人の中にとどめることができる可能性が高くなります。(図1-8)

この場合の適度な距離をおくとは、時間的・空間的な距離を置くこと、具体的には教団に通う頻度を意識的に少なくすることであり、「依存症の心理的要素」が肥大していないか、「人生を構築する自律の意志」は健全に保たれているかを自分自身で測ることが大切です。

「7つの領域と宗教依存症」

(このサイトの宗教依存症に関する理論はRCラボオリジナルで、文章は著作権法で保護されており、無断転載・流用等を禁じます)

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